告知から行動へ

レイの日記

こんにちは、レイです

今日も読んでくださりありがとうございます。

私(がん患者の家族)の書いた日記と父(患者本人)の書いた日記を元に、患者とその家族がどのように感じ、何を思い、どう行動したかの記録を綴っています。

何か皆さんの参考になれば嬉しいです

このブログは特定の療法や特定の医師、または宗教・思想などをお薦めするものではありません。
あくまでも、がんと向き合いながら、いろんな壁とぶつかり、いろんな思いを抱き、多くの選択を迫られ、様々に枝分かれしているように見える「道」を歩んできた、ごく普通のがん患者とその娘が「等身大の幸せを見つけた」記録です。

レイの日記

情報収集は大切、でも気をつけて

告知を受けた日、まず私がしたこと。
それは情報収集でした。

インターネットでひたすら検索をかけては、さまざまなブログ、医療機関のページ、患者さんたちのグループなどのページに目を通していきました。

まずはできるだけ症状やステージが近く、参考になりそうな人のページを探しました。

がんについて何も知らなかった私は、初めて得る情報の数々が正しいのか間違っているのかさえ、全く判断ができないような状態でした。

そして多くの人が手術や抗がん剤治療で苦しんでいる姿も垣間見ることになりました。

元気づけられるというよりは、かえって絶望感にさいなまれるような状態でした。

たまに希望の光を抱けるような記事に出会ったかと思うと、高額なセールスに導くものだったり、眉唾ものの話だったりしました。

焦る思いと悲しみの思いによって、私も一度そ間違いを起こしそうになったのです。

高額で売られている健康食品のようなものを勝手に注文してしまい、それを冷静にみていた父に止められた、ということが一度だけありました。

今考えれば、どうして私がそのようなものに引っかかりそうになったのか、不思議に思えてくるのですが、その時は「なんとかしてあげたい」という気持ちによって、判断能力を失っていたのだと思います。

「やっつける」のではなく、「共に生きる」というベクトル

情報の取捨選択に悩んでいる私に、知人が一冊の本を買ってきてくれました。

それは食事療法や生活改善、そして心の変化によってがんを乗り越えた方々の記録でした。

私は直感的に、このベクトルに何か鍵があるような気がしました。

「病気というのはすべて、何か身体のSOSサインに過ぎない」

「そして身体のSOSサインは、元をたどると心(メンタルヘルス)に起因していることが多い」

東洋的思想に普段から触れている私にとって、「がん」という存在が何か一つの独立した「悪」にはどうしても思えませんでした。

だから何が何でも手術・放射線・抗がん剤その他でがんを「殺す」という考え方、「やっつける」という攻撃的な考え方には違和感を感じていたのです。

誤解がないように追記しておきますが、ここですべての三大治療が間違っているということを言っているのではありません。

病気に対する向き合い方を、「やっつける」のではなく、「共に生きる」というベクトルに変えていく。
そこに鍵があるように思ったのです

何も知らない私が、不安にさいなまれていた私が、偶然というか必然にそのような本に出会ったこと。
それは決して小さくない一歩を踏み出すきっかけとなりました。

 

そうだ、せっかく今まで東洋の文化を学んできたんだ。
今回のこの病気に関しても、部分ではなく、全体を見ていこう――

未知の病気「がん」と出会い、絶望と焦りの中、きっと何かできることがあるんだ!という思いを感じ、希望の光が差し込んできたのでした。

 

父からのメッセージ

告知から行動へ

家族たちは、翌日から動き始めました。
長女(レイ)は圧力釜を持ち込んで玄米の炊き方を教えてくれたり、ヨガのメソッド(呼吸法、気功、瞑想法など)を指導してくれました。
次女は仕事の合間を縫って激励に訪れたり、頻繁にメールをくれたり、精神的バックアップをしてくれました。
家内は告知の翌日から、食事をガン患者用に一新し、自分も同じメニューを付き合ってくれました。

3人とも明るく前向きに対応してくれたのですが、内実はかなりのショックで、それぞれが一人泣いていたことを後で知りました。

私は、ある会社の責任者をやっていたので、今後のこともあり、躊躇せずカミングアウトしました。自覚症状が全くなかったので、出張や得意先との会食などはスケジュール通りこなしました。
しかし、これからどんな治療を、どんなタイミングで受けたら良いのか、判断する必要が迫っていたため、取りあえずガン関係の本を手当たり次第に読み漁りました。

併せてホーム・ドクターに相談したり、ガン経験者の友人と会ったり、出来る限りの情報収集に努めました。

私の場合、ガンであることを関係者に話すことで、周りの協力も得ることが出来ましたし、治療に対する冷静な判断に繋がったように思えます。しかし、様々な事情で秘かにガンと取り組まざるを得ない方もおられると思いますので、カミングアウトが絶対とは言い切れません。

ガンの責任は自分にあると自覚すること

「ガンは生活習慣病である」ということは、いろいろな本に書かれていますが、実際の医者、特に外科医はそのような視点は稀薄なような気がします(すべての方がそうだというわけではありません)。
極端な例では「○○さん、手術が上手くいき、腫瘍は全部取ったので、これから普段の生活に戻って結構です」という医者がいると聞きます。
普段の生活(今までの生活)に戻ったら、元の木阿弥です。表に現れたガンは氷山の一角で、その下にあるガン体質が問題で、それを呼び込んだのは自分だと自覚することが重要だと思います。

ガン体質の改善が生き残りの条件なので、考え方、人間関係、食事、睡眠、体温、運動、ストレス等々、生活全般に亘る見直し作業になるのです。

ガンを敵視してはならない

これは、何も宗教的な立場で言っている訳ではありません。
理由の一つは、「ガンは自分の責任」ということですが、もう一つの理由は安保徹(代替治療の権威)さんの「ガンは身体の適応反応で、身体の失敗作ではない」という説にあります。具体的な理論は、安保さんの著書を読んで頂きたいのですが、結論的に言うと、ガンは正常な生命活動で、間違いで起こるものではない。ガンになる条件が整えばガンになるという考えであります。
この考えに立つと、ガンは身体が生き延びようとしてなるので、むしろ律儀な存在と言えます。
肝心なのはここからですが、ガンを敵視せず、律儀な身内だと考えることが出来たら、治療方法の選択に大きな影響を与えると思います。
敵だと思うから、抗ガン剤や放射線で徹底的に叩くことに安易に同意してしまうのではないでしょうか。

少なくとも、ガンが適応反応と思えば、三大治療を受けるとき、細心の配慮を医者に求めるようになるでしょう。

つづく

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