こんにちは、レイです
今日も読んでくださりありがとうございます。
ここからは、私の書いた日記と父の書いた日記を、同時に記載して、患者とその家族がどのように感じ、何を思い、どう行動したかの記録を綴ります。
何か皆さんの参考になれば嬉しいです
レイの日記
いつも通りで特別なある夏の日。
今から約10年前の夏でした。
突然の父からの電話で、私の人生に「がん」という現実があらわれたのです。
その時のショック、その時の動揺、そして同時に「何かできることはないか!」という焦り――今でもハッキリと思い出すことができます。
いつかは直面するだろうと予想はできていたことであったけれども、それまで元気に働いていた父の命が残り少ないのではないかと思ったその瞬間――私の心は動き、ざわめき、締め付けられました。
私は当時、ヨガのインストラクターをしていましたが、その日もいつも通りレッスンを担当していました。
何もなく過ぎていた平穏な午前中、めずらしく父からかかってきた電話。
「残念ながら、こないだ見つかった腫瘍は悪性、つまり『がん』だったようだ。
これから精密検査に入るから、また連絡するよ」
その後精密検査を大学病院で受け、結果はステージ3の浸潤性の進行胃がん。
大学病院ではもちろんできるだけ早急な手術を薦められました。
東洋的な考え方と西洋的な考え方
私はヨガをライフワークとしていたので、東洋的な体の考え方に慣れ親しんでいました。
大まかにいうと、東洋医学にとっての病は、体の全体の不調のサインとしてとらえます。
何か症状が現れたときに、その「部分」を治療するのではなく、その不調の原因を探し、それを正していくことを目的とします。
それに対し、西洋医学では、その症状が出た部分を「治療」することで、その症状をとる、または治すというやり方を用います。
一体どのようにこの病気と向き合っていったらいいのだろう。
手術はすべきなんだろうか。
他に方法はあるのだろうか。
代替療法は?
民間療法は?
それとも手術をしたほうがいいのか。
抗がん剤は?
そんなことを考えているうちに放っておいたらどんどん進行し、手遅れになるかもしれない――
知識も経験もない私の心には、いろんな思いが錯綜しました。
いろんな思いが出ては消えていき、小さかった頃の思い出、父への思いも出てきては、胸が締め付けられるのでした。
普段、瞑想その他によって私は心を平静に保つことをライフワークとしていましたが、この日、私はひとり部屋で泣きました。
本当にどうしたらいいのか分からなかった。
そしてこの日から、私と父の二人三脚は始まったのです。
父からのメッセージ
「胃の上部に5センチのガンであり、出血し易い状態で、手術が必要である」と告げられたときは、少し動揺しましたが、「やはり、そうだったか」と比較的冷静に受け止めることが出来ました。今までの自分の生活を振り返ると、ある種の覚悟があったからです。
病院からは、すぐ入院手続きをして、精密検査をしようと言われ、一旦その気になりましたので、家族や関係者に電話したのです。
その後、ホーム・ドクターの意見を聞かなければと考え直し、その旨を担当医に話し、検査データと紹介状を貰うことにしました。
誠実に話したこともあり、担当医は気持ちよく対応してくれました。
ガン告知を受けたら、一旦帰宅して、一呼吸置くこと
ガンを宣告されると、頭が真っ白になって、正常な判断ができなくなる方も多いと聞きます。最も多いのが、結果を知らされた病院で「すぐに、入院して精密検査をして、必要な処置(手術・抗ガン剤・放射線)をしましょう」と言われて、そのまま病院のベルトコンベアーに乗ってしまうケースと言われています。
そのことが何故良くないのか。それはベルトコンベアーに乗って治療を受け、全て上手く行く場合は問題ありませんが、様々な想定外の症状が出たり、病院に対する不信感がよぎったりする場合も充分考えられます。
そんな際、ベッドの中で後悔しても、後の祭りだと言われます。初診であれば、多少壁が高くても、どこの病院も受け入れてくれますが、一度他の医療機関で処置された患者を受け入れる病院は圧倒的に少ないのが事実のようです。
後悔して、転院しようとしてもその道は狭く、下手をすると民間治療院をうろうろするガン難民になってしまう危険性が高まるのです。従って、病院は流れや勢いで選んではならないのです。冷静に!冷静に!です。
セカンドオピニオンの大切さ
ガンと取り組む場合、精神的な安定が最も重要だと言われますが、「自分は最善手を打っている」と思えることは、何よりの精神的安定でした。
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