こんにちは、レイです
今日も読んでくださりありがとうございます。
私(がん患者の家族)の書いた日記と父(患者本人)の書いた日記を元に、患者とその家族がどのように感じ、何を思い、どう行動したかの記録を綴っています。
何か皆さんの参考になれば嬉しいです
レイの日記
「自分で選ぶ」ということ
この頃、偶然にも父の周りや私の周りにがん患者の方――すでに手術を終え、抗がん剤の治療を受けている方――があらわれはじめました。
彼らの意見や存在が今後の治療というものを考える指針になると同時に、彼らが「医者の言う通り」の治療を受けている人々であることもまた然りでした。
それは「標準治療」といわれるもので、病院ごとにある程度のガイドラインは決まっていて、それ以外の選択というのは余程のことがない限り考えられない。
これが今の医療の実際であることは確かであるようでした。
しかし、私たちは「自分たち」で選択しようとしました。
そして最後は複数の「自分たち」でもなく、「患者本人」が「自分で」選択することにならなければならない。
これこそがとても大切なエッセンスであると、この時感じました。
そしてそれから数年たった今でも、それこそが大切な一歩であったと強く感じています。
相手の気持ちを100%わかることなんてできないという謙虚さ
情報を集めて、考察し、また情報を集める。
この繰り返し。
そして父に意見を言う。
さらに家族で話し合う。
それを何度も重ねて、続けて、あきらめずに繰り返す。
それは、本人が「自分で選択」できるまで――
手術や化学療法等の3大治療に関しては絶対的に否定的だった私も、この頃には、
「父の最終選択の前では、自分の意見はすべて捨てて、父の選んだ道を心から応援しよう!」
という気持ちになっていました。
父が命がけで選んだものに、これから進もうとしている道に、影を作ってはいけない。
否定的な思いを持たせてはいけない。
そう強く感じたのです。
しかしそこに至るまでは、自分の意見を、歯に衣を着せずに言う。
家族だからこそ、信頼しているからこそ、言う。
そして言いながらも同時に、
「いくら家族とはいえ、自分の命を危険にさらされている人の気持ちが100%理解できるなんて思ってはいけない。
自分は常に、彼の気持ちになって考えようとしなければいけない。
そしていくら分かろうとしても、本当の奥深い部分に関しては分かってはいない。
そういう謙虚な気持ちで、発言や行動は選ばなければならない」
という気持ちを忘れてはいけない――
しかしこの一回目の手術の前の私自身を振り返ると、それができていない部分が多々ありました。
自分の想像力の欠如や、思いやりの足りなさ、言葉の足りなさ、様々な反省点が出てきます。
こうやって、家族も、患者と向き合いながら成長していくしかないのかもしれませんが、本当に私は未熟だったなと感じています。
父の選択
家族の病気と向き合う時、命を懸けた選択を共にするとき、身近な人間にできることはたくさんあります。
しかし同時に傷つけてしまうことも多々あるでしょう。
お互い必死なだけに、言葉にも当然さまざまな感情が入ります。強くなり、また弱くもなります。
だから本当に慎重にならなければならないと感じました。
そして――
父は選択しました。
胃の全摘手術を受けることを。
自分で。
家族と共に、「自分で」選択してくれたのです。
父からのメッセージ
情報収集を繰り返し、解ってきたことは、ガンは(娘が言うように)身体「全体の病気」であるため、「部分」だけを処置しても抜本的な対策にならないということと、然りとてガンはある速度で大きくなるため、自然治癒力、つまり免疫力が回復するまでの時間稼ぎ(時計の針を止める作業)が必要であるということでした。
三大治療の是非は、ゼロか百ということではなく、残された時間との関係が問題ということでした。
その上で、自分の置かれた状況を考えた時、自然治癒力の回復のみにすべてを賭けるのは、リスクが高過ぎて、後々後悔するだろうと思えました。
従って、時間稼ぎを必要最低限(私の場合は手術)やり、同時に最大限の体質改善・意識改善に取り組もうと決めました。
その結論を家族に伝えると、いろいろな想いはあったと思いますが、最終的に全員納得してくれました。その日から手術に向けての本格的取り組みが始まりました。
治療によって得るものと失うものを、自分の人生観に照らして考える
結果として、私の場合は東洋医療の治療を受けた後に、西洋医療の手術を受けることになりましたが、当然ながらこのような選択が常に正しい訳ではありません。
以前、申し上げたように最も大切なのは、その選択に自分が如何に納得しているかです。
この点は、強調しても、し過ぎることはありません。大げさに言えば、治療によって得るものと失うものを自分の人生観に照らして割り切ることです。
そのためには、その治療法の治癒率、生存率、副作用などについて出来る限り勉強することが必要で、(最終的に出した結論に身を委ねることは必要かも知れませんが)、最初から医者にすべてを任せるという無思考な姿勢は余り賛成できません。
事実、治療を受ける上で、どの方法を選んだかは、医者ではなく自分だという自覚が、精神面の大きな支えになると言われています。
つづく
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