こんにちは、レイです
今日も読んでくださりありがとうございます。
私(がん患者の家族)の書いた日記と父(患者本人)の書いた日記を元に、患者とその家族がどのように感じ、何を思い、どう行動したかの記録を綴っています。
何か皆さんの参考になれば嬉しいです
レイの日記
アーユルヴェーダ医師S先生との出会い
父は無事インドにつきました。
現地の病院に着くまで、私もさまざまな心配をしました。
私自身、二十歳ぐらいのころからインドを旅していましたし、ヨガやインド哲学に興味を持ち始めてからも、その関係でインドにいくことが多々ありました。
その中で私が感じた感覚――インドという特殊な感覚に、日本の社会の中で生きてきた父が、一人でどのように順応していくのかということに、不安もありました。
しかし私が思っていた以上に、父は、周りに流されない、常識に流されない強さを持っていると感じました。
そして同時に、この世界が導く大いなる流れに身を任せる強さも、持っていると感じたのです。
インドで起こるさまざまな経験、トラブル、感動などを、すべて真っ正面から受け止めているように見えました。
それは彼の「がん」という病気がそうさせたのかわかりませんが、私はインドからの報告がある度に、安堵とわくわくする気持ちの両方を感じることができました。
彼が向かった先は、ムンバイから車で4時間ほど走った場所にあるワゴリというところでした。
そこにはがん患者を専門的に受け入れ、インドの伝承医学アーユルヴェーダによるがん治療の研究を、西洋医学を否定することなく行なっている大学病院です。
アーユルヴェーダでは多くの薬草や鉱物などを調合し、薬を作ります。
その薬草もその広大な敷地の中で育てているという、大きな施設でした。
その敷地内の小屋のような離れにある個室に約3週間滞在することになりました。
片言の英語と、電子辞書を元に、そこでの生活が始まったのです。
父からのメッセージ
ワゴリという町は、ムンバイ空港から更に200キロ真東に行った処にありました。
夜、空港に着いた私は、迎えのタクシーで深夜の道を4時間かけて目的地の施設に向かいました。
運転手とはお互い片言の英語で何とかコミュニーケーションに努めました。
山道では、半端でない過積載のトラックが悲鳴を上げながら列を作って昇っていく光景に驚かされたり、街では夜中にも拘わらず人が大勢薄明かりの屋台の周りにたむろしている光景に出会い、涼んでいるのかと思いましたが、家のない人々であることを知りました。
いずれにしろ、日本の常識では考えられない世界に立っていましたが、ガンになったという境遇からか、娘が指摘するように、あらゆる出来事を新鮮な気持ちで真正面から受け止めることが出来るようになっていましたので、ほとんど不安や恐怖はありませんでした。
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